ストレルカの記録場

軍事や宇宙開発、医療の話題。

買い物で私が気にするリスク

小学校の家庭科の授業にて「JISマーク(日本産業規格)」の説明として、先生から「日本製が信頼されたのは規格があるから。火事になるような、よくわらかん製品じゃないから。」と言われた。その説明が正しいのかは置いておき、私は世の中の製品に2つ思う事ができた。

 

(1)人の作った物にはミスが付き物である。

(2)完全に信頼せず、1%くらいは常に性能を疑おう。

 

上記の2つを念頭に私は買い物をする。故に「春日が壊したIKEAの椅子」の様な構造的に明らかな無理があるのを技術力で解決しようとしている商品は嫌いである。またミスがない事を当たり前とし、ミスが起きた時に鬼の様に罵詈雑言を浴びせる人も嫌いである。「製品にミスが起きたら相手が100%悪いに決まってる。」と信じて疑わない人を私が嫌いな理由は、「リスクを考えていないから」である。

 

例えば、医療行為にて、ある薬を飲む場合に重大な副作用が1%の確率で出る…だが薬を飲まなかったら別の不利益が50%の確率で出る…だから薬のリスク1%を許容して薬を飲む。という流れになる場合が多い…だが薬のリスクは1%から変わらないのだ。医療行為と同様に、日常に溢れる便利な商品を買うにしても、それ相応のリスクとメリットを天秤にかけて買うべきだ。戦争などに影響されず安定して原発から電力を手にいれるメリットと事故のリスク政治家に投票するメリットとそれにより起こるリスク、忘れてはいけないのが行動するべき時に行動しないリスク、世の中にはリスクで溢れている。

 

「お金で全てが解決する。こちらはリスクを1%も負う必要がない。」と思うような人間には私はなりたくない。私は物やサービスを購入・利用する時は、それの物理的・構造的なリスクを考慮する。そして必要だがどうしても懸念が強い物やサービスを利用する場合は、保険をかける。自動車保険や火災保険を使ったり、数年後に問題が起きた場合でも販売側と確実に日本語で意思疎通ができる大企業やブランド、そのような場所で購入する。出品者の顔の見えないネット通販を利用するだけのリスクを私は背負いたくない。

 

お金は信用だという。では見かけ上は同じ性能の商品で価格が違う場合、その価格差を企業努力など資本主義的な理由と考えるか、なにかしら信用を減らしているのかの判別は常にするべきだと私は思う。

(2023年11月6日0:17文章の修正と最後の段落の追加)